休みがない
ここのところ2週間続けて土日とも実家に行っています。
先週は土曜日に病院にも連れて行きました。
身体があまり動かない人間を外に連れて行くのは本当に大変でした。
以前はお昼ご飯に間に合うように行けば良かったのですが
最近は親が朝起きなくて姉も出勤していくために
朝ご飯から朝の身支度もあるので遅くとも9時には行っています。
そして昼ご飯を食べさせて片付けをして
他の用事も済ませていると帰るのは3時とか4時になり・・・
フルタイムとは言わないまでもパートで働くくらいの時間実家にいて親の世話などしています。
買い物して帰るともう夕方になっていて・・・
とても休日という感覚はないです。
朝慌てて洗濯を済ませて出かけて帰ってから掃除やその他の家事を済ませると
もう一日が終わってしまいます。
ここ2週間は全く休みがない感じです。
もちろん毎日親の世話をしている姉の方がもっと大変なのはわかっています。
でも友人にそう言われるとやり場のない疲労感みたいなものが広がります。
姉の愚痴や思いを受け止めるのは私として
私の愚痴や色々を受け止めてくれる人はいません。
友人にもたまには話しますがそうそう自分の愚痴ばかりも言えません。
それに姉も常々言っていますが同じような介護の経験がない人には
いくら説明してもわかってもらえない気持ちがあります。
それは当たり前の話なので仕方ないです。
いつかその相手が介護をすることになったとしたら
あの時聞いたのはこういう事だったのか、とわかるんでしょうね。
でも幸運にも介護を経験せずに済むならば
一生介護する側の苦労などはわからないわけです。
それはそれで幸せな事だなと思います。
先日ネットで見た話でその方の祖母の方はすごくしっかりした方で
おそらく認知症なども患ってはいなかったようで
入院されていた時にきちんと主治医の方などに世話になったことのお礼を言って
その数日後に静かに亡くなられたそうで
その方もその祖母の方のように最期を迎えたいとの話でした。
そんな良い最期を迎えられたらそれも幸せだと思います。
対するコメントに「自分も認知症になりたくないしそんな最期を迎えたい」
との言葉がありました。
それは誰しもが思う事なんでしょう。
でもなっちゃう人間もいるんですよ、なりたくなくても。
うちの親は持病からほぼ認知症と同じ症状が出ていますが
これもなりたくてなっているわけではないし
原因もこれというものがあるわけでもない。
節制してこなかった事実はありますがそれが理由と言うわけでもないです。
自分もそうなりたくてなったわけでもないのに
自分も身体が動かなくて辛いし幻覚や妄想があるし
家族や周りの人にも迷惑や面倒をかけて
ストレスや疲労や体調不良を与えて
悩みの種となって生きているわけです。
あんな風にはなりたくないとか言われる存在になってしまって・・・
私も姉もあんな風にはなりたくないと思ったり言ったりしています。
でもどうなるかは自分の意思ではどうにもならないかもしれません。
将来周りに疎まれながら生きながらえる可能性もあります。
友人には考えても仕方ないことは考えない方がいいと言われました。
悲観的な事も考えない方がいいとも。
ただ親のことはそうなるかもと思いつつも
具体的な解決案もなく今の状態になってしまっているので
最悪の事態も見据えて考えていくのも必要ではないかと思ったり。
姉のまだその時期ではないとかまだそんな事考えられないは
今は先の事を考える余裕もないから考えたくないのかもしれないし
悲観的な未来から目を逸らして逃げているのかもしれません。
現実が結構辛過ぎますからね。
多分今は表面張力ギリギリで持ってるような状態で
後一つ何かが加われば
何とかなってる状態から一気に何ともならない状態に陥りそうな気がします。
でも一番怖いのはこの状態がダラダラとずっと続いて行って
誰かの気力や体力が切れてしまうことです。
何より終わりが見えないのが本当に辛いです。
先週は土曜日に病院にも連れて行きました。
身体があまり動かない人間を外に連れて行くのは本当に大変でした。
以前はお昼ご飯に間に合うように行けば良かったのですが
最近は親が朝起きなくて姉も出勤していくために
朝ご飯から朝の身支度もあるので遅くとも9時には行っています。
そして昼ご飯を食べさせて片付けをして
他の用事も済ませていると帰るのは3時とか4時になり・・・
フルタイムとは言わないまでもパートで働くくらいの時間実家にいて親の世話などしています。
買い物して帰るともう夕方になっていて・・・
とても休日という感覚はないです。
朝慌てて洗濯を済ませて出かけて帰ってから掃除やその他の家事を済ませると
もう一日が終わってしまいます。
ここ2週間は全く休みがない感じです。
もちろん毎日親の世話をしている姉の方がもっと大変なのはわかっています。
でも友人にそう言われるとやり場のない疲労感みたいなものが広がります。
姉の愚痴や思いを受け止めるのは私として
私の愚痴や色々を受け止めてくれる人はいません。
友人にもたまには話しますがそうそう自分の愚痴ばかりも言えません。
それに姉も常々言っていますが同じような介護の経験がない人には
いくら説明してもわかってもらえない気持ちがあります。
それは当たり前の話なので仕方ないです。
いつかその相手が介護をすることになったとしたら
あの時聞いたのはこういう事だったのか、とわかるんでしょうね。
でも幸運にも介護を経験せずに済むならば
一生介護する側の苦労などはわからないわけです。
それはそれで幸せな事だなと思います。
先日ネットで見た話でその方の祖母の方はすごくしっかりした方で
おそらく認知症なども患ってはいなかったようで
入院されていた時にきちんと主治医の方などに世話になったことのお礼を言って
その数日後に静かに亡くなられたそうで
その方もその祖母の方のように最期を迎えたいとの話でした。
そんな良い最期を迎えられたらそれも幸せだと思います。
対するコメントに「自分も認知症になりたくないしそんな最期を迎えたい」
との言葉がありました。
それは誰しもが思う事なんでしょう。
でもなっちゃう人間もいるんですよ、なりたくなくても。
うちの親は持病からほぼ認知症と同じ症状が出ていますが
これもなりたくてなっているわけではないし
原因もこれというものがあるわけでもない。
節制してこなかった事実はありますがそれが理由と言うわけでもないです。
自分もそうなりたくてなったわけでもないのに
自分も身体が動かなくて辛いし幻覚や妄想があるし
家族や周りの人にも迷惑や面倒をかけて
ストレスや疲労や体調不良を与えて
悩みの種となって生きているわけです。
あんな風にはなりたくないとか言われる存在になってしまって・・・
私も姉もあんな風にはなりたくないと思ったり言ったりしています。
でもどうなるかは自分の意思ではどうにもならないかもしれません。
将来周りに疎まれながら生きながらえる可能性もあります。
友人には考えても仕方ないことは考えない方がいいと言われました。
悲観的な事も考えない方がいいとも。
ただ親のことはそうなるかもと思いつつも
具体的な解決案もなく今の状態になってしまっているので
最悪の事態も見据えて考えていくのも必要ではないかと思ったり。
姉のまだその時期ではないとかまだそんな事考えられないは
今は先の事を考える余裕もないから考えたくないのかもしれないし
悲観的な未来から目を逸らして逃げているのかもしれません。
現実が結構辛過ぎますからね。
多分今は表面張力ギリギリで持ってるような状態で
後一つ何かが加われば
何とかなってる状態から一気に何ともならない状態に陥りそうな気がします。
でも一番怖いのはこの状態がダラダラとずっと続いて行って
誰かの気力や体力が切れてしまうことです。
何より終わりが見えないのが本当に辛いです。

このエントリーのカテゴリ : 介護
テーマ : (。´‐ω‐)みぃ… ジャンル : 日記